今日の昼休み、T氏がまた担任に成績について説教されていた。

 

T氏はぼくの中等部時代からの数少ない友人の一人だ。

もう一人、ぼくの友人といえる人物がいて、彼は医者の家系で医学部を志望していた。今思い返せば、中等部時代からの友人といったらこの二人ぐらいだったと思う。

前々から面識はあったものの、この二人と本格的に交友を持ったのは中等部の二年の終わりで、当時A氏はいつも野球部に所属するT氏の帰りを待つ為に教室で読書や、勉学などをしていた。

ぼくも、夜の学校の雰囲気がなんとなく好きで、6時頃まで学校に残る事が帰宅部であるのに1週間に2回ほどあったので、自然に彼らと交流を持つようになっていった。

最初は学校の帰りに一緒にコンビニなどに行ってアイスを食べながら雑談をしたりするぐらいだったのだが、次第に学校の外で遊ぶ機会も増えていった。

遊びとはいっても、横浜や鎌倉の街を散歩したり、雪の降った日に公園で雪合戦をしたり、無意味な行動ばかりであったが、自分達の関係はなんとなく、それで良いのであるという暗黙の了解によって成り立っていたし、当人達もそれに満足していた。

 

中等部の夏になると、周りはある程度高校に進学する際のことについて意識するようになった。

ぼくの高校ではいくつかのクラスがあって、基本的に内部生と外部生は別々になっている。
その中でも中高一貫生のみが進学する特進は特殊で、文理融合で、極端に授業数が多く、中学成績が一定以上でないと進学が出来ない(とは言っても辞退する生徒もいるので余程定員が厳しい年でない限り希望すれば入る)、いわゆる程度は知れているが、それなりの大学へ進学する為のクラスであった。
ぼくとA氏は比較的成績が良い方であったので、とりあえずと言った感じで特進を志望していたのだが、T氏の成績は中の中で良いわけではなかったし、特別勉強に対して熱意があるというわけでもなかった。
ぼくとA氏が、夏頃になってT氏に選抜クラスへ進むことを伝え、お前も来ないのかと尋ねると、T氏は、理系一般クラスで指定校推薦を取るか、外部の高校へ進学するのだと言った。
後にT氏の母親から聞いた話なのだが、これがきっかけとなって突如T氏は部活を辞め、塾に通い、猛勉強を始めたのだという。部活を辞めた事については知っていたが、そのような様子は毛頭ないように見えたので、意外であった。
次の定期考査ではもう学年10位以内ぐらいの成績だった。そして、T氏はA氏やぼくと共に選抜へ進むことを告げた。これには驚かされたし、三人組が、三人組である事に我々は誇りすら持ち始めていた。
そして、私達は三人で選抜クラスへ進むこととなる。

 

特進クラスに進学してからも、私とA氏は比較的勉強自体を苦痛には感じない人間であったので、成績は良好であった。

それに比べて、T氏はそれほど勉強の好きな人間ではなかった。心優しい青年であったが、このクラスにおける存在の指標である成績と性格は比例しない。

次第にT氏の成績は落ちていき、高校一年の頃はまだしも高校二年になると確実に学力の低下は目に見えてきて、今となっては下から数えて三番目程度になってしまった。

今でも三人はそれなりに話すし、べつに特別関係に亀裂が入ったわけでもない(高校に入ってから自由な時間が減ったので、遊ぶ機会はかなり少なくなった)が、T氏は、しょっちゅう成績について担任に指摘されて、疲れきってしまったように思える。

挨拶をしても、返事が覚束なかったり、すっかり気の抜けた人間となってしまったし、勉強に対して苦痛を覚えているという旨の発言も何度か彼の口から耳にした。

保護者面談の日、偶然会った彼の母親にも時々学校に関して限界であることを呟いていると相談されて、返す言葉が思い浮かばなかった。

そもそもの彼が特進クラスへ進む引き金となったのは、ぼくとA氏だ。彼は本当は、一般理系クラスに進んで、部活を続けながら推薦などで大学へ進んだ方が良かったのだと、いつも思ってしまう。いくらこの高校と言えど、芝浦工業の指定校くらいはあるはずだ。

担任に、彼が説教されている光景を見ると、申し訳ない気持ちで、胸がはちきれそうになる。