今年の夏は、いつもの夏と比べて夏らしさに欠けている。机に向かうぼくはそんな事を考えていた。

去年の夏ごろは確か、オープンキャンパスでバカみたいに暑い中歩き回ったり、割と遠い所まで出かけたり、初の夏期講習でそれなりに夏らしかった気がする。

ああ、男友達と花火も見た。そんなこともあった。

それに比べて今年は、気がついたら過ぎ去ってしまっていた感じがする。

様々な理由によって今年の前半の大半を憂鬱な気分で過ごしたというのもあるが、思い出せる事が実に少ない。

ふと、気付くと外から花火の音が聞こえてきた。これは夏らしくないと思ってしまった自分への当て付けなのか。

花火ということで、少しはこの家の前からも見えるものなのだろうかと部屋を出ようとする。

誰も居ない家はぼくの部屋以外は暗闇に包まれていた。当然のようにリビングは真っ暗だった。

すると、リビングでは色々な音が聞こえてくる事に気付いた。ぼくは少し目を閉じる。

目を閉じた先に、色彩は無い。でも、色んな音楽が浮かんできた。

花火の振動に呼応して起こる何かが擦れてキュッと鳴る音、スズムシの鳴き声、主張を続ける花火の音、花火大会の喧噪、近所の子供の喜ぶ声。真っ暗闇の音楽会だ。

ぼくが何も「見て」いなかっただけで、今年の夏も実に夏らしい夏なのではないかと、花火に教えられた気がする。

でも、結局最後まで花火を見ることはなかったな。

13

9月1日

しまった。

ぼくの頭にこの言葉が浮かんだ、これほどこの状況を的確に表す言葉は存在しない。

学校から少し(といっても結構な時間)歩くと、公園がある。

公園の池の周りには種々の植物や木があり、季節毎の違いを色濃く表現している。

例えば、春は桜が咲いているし、夏は新緑が生き生きと見受けられる。

秋には橙色に染まった木々が湖畔に映り、冬には夏の新緑が嘘のように裸の木が堂々と立ち並び、雪が降らなくても一目で冬と分かる雰囲気を醸し出している。

ぼくの家の近くにもそれなりに大きな公園があり、そこでも四季をいい具合に表現してくれているのだが、何しろ広すぎる。これといった一つの場所が無いのだ。

それに比べて、学校の近くの公園は小さい。だが、狭い場所に季節が濃縮されているようでぼくは好きだった。同じ場所でもはっきりとどの季節かが分かる。

そんなわけで、今年は季節毎に写真を撮り、四季を見比べようと思っていたのだが、今年の夏は知らない内に去ってしまった。

近年、9月の序盤はまだ完全に夏という雰囲気が続いていたので、油断していたのかもしれない。

丁度ぼくが夏期講習であった時に雨続きで、休日だった時には全く雨が降らなかったのも実に具合が悪い。

かわりに今月は、彼岸花でも見に行こうか。9月の中盤は、彼岸花が綺麗らしい。

 

9月2日

学校が、本格的に始まった。

避難訓練だった。実にこの学校はきまりが悪い、防災の日避難訓練をやらないで今日やるとは予想外である。地震とは予想外の時に来るのだから、まあそんなもんなのかもしれない。

朝に雨が降ってくれていたおかげで、グラウンドがぬかるんでいる為体育館で開催された。運が良かった。

地震対策だというのに、校長は生徒のモラルの話に殆どを割いていた。

いつも思うのだが、こういう校長の説教じみた話をありがたく受け止める生徒はいるのだろうか。

仮に生徒のマナーが悪かったとして、それを全体に注意した所でマナーの良い生徒からは何もせずに注意されたわけだから反感を持つし、全体への注意で行動を正す生徒がマナーがなっていないはずもない。

ぼくは眠くてそれどころではなかったのでともかく、周りの生徒に殆ど校長の話に注目する様子はなかった。

まあ、その後の防災の話も誰も聞いていなかったようにぼくは見えたので、そもそもの集会とは得てしてこういう物と考えた方が自然か。

12

隣の家族連れの子供が、スプーンを落とした。

スプーンはぼくの方向へ飛んできた。ぼくは食べ物を口に運んでいる途中だったので、その方向を振り向きはしなかった。

食べ物を口に運んでから、音がした方向を見た。子供の姉が、スプーンを取るために立ち上がり始めていた。

ぼくはスプーンを取ろうかと思ったが、子供の姉がスプーンを取るためにすでに立ち上がっている。わざわざ取りにいっても明らかに彼女よりは遅くなってしまうだろう。邪魔をするかもしれない。だから、ぼくはそれを取らなかった。

結果的に、ぼくはスプーンをただ睨んでいるだけになってしまった。それを家族も見ていた。

どうにもここでひどい罪悪感を感じてしまうのが、良くも悪くもぼくをぼくたらしめる原因らしい。

11

ぼくは、明日を考えていた。

ぼくは、遠い未来を考えていた。

明日のことは、強引に間に合わせるのが得意だった。

間に合わないということが殆どなかったので、そういうくだらない面では自分に妙な自信もあった。

幼稚園の頃から、20年後や、30年後の事をずっと考え続けてきた。

今の事よりも、遠い未来の事を考えていた。将来のぼくは何をしているのだろう、フリーターになっているだろうか、それとも災害や事故でこの世にはいないのだろうか。よく物事がわからなかった時は、そんな暗い事ばかり考えていた気がする。

だから、子供の頃のぼくは暗かった。今の自分以上に自分を卑下していた。

これのそもそもの原因を決めつけることはできないが、基本的に幼稚園の頃から人との関わりを避けて、家には無い将来について延々と話し続けているような老人だらけだったからなのかもしれない。

老人が多かった事もあって、確かに裕福だったが、人が喧嘩していない事の方が少なかった。一番の友人は飼っていた二匹の犬だった。

みんなは宇宙飛行士とか、総理大臣とか、スポーツ選手とか、たいそうな夢を持っていたが、中途半端な知恵だけがあったぼくはそんな物になれる人間など極僅かな事は知っていたし、驕ることへの羞恥心を抱き始めていたので、なるべく自分の出来る範囲で考えていた。

楽な会社員になりたい、楽な仕事につきたい、なんとかして働かないでお金を稼ぐ方法はないんだろうか。ずっと考えていた。

小学生になって、様々な書籍やメディアに触れてそれなりに物事を理解すると、無能なりに多少の勝手がわかってきたので、今までとは違って知識の上で、将来について考え始めた。無能でも偉い人にはなれる事を知ったので、少しは将来に対する希望も湧いてきた。

だから、ぼくはみんなが目指していた「特別な人」にはなれなくても、なんとかして偉い人になろうと思ったし、それを目指してこれからは生きていこうと思った。

でも、その中間を考えなかったのが、よくなかったな。

高校生のぼくの事なんて昔のぼくは考えていなかった。周りに高校生がいなかったので、そのイメージは老人や、社会人よりよっぽど遠く思えたし、想像もつかなかった。

だけど、なんとなく自信はあった。生きてさえいれば、そこそこまともな高校生になれているだろうと。

だが、今のぼくはなんだ。

昔のぼくはきっと今のぼくをばかにするだろう。

なんとなく中学受験をして、なんとなくそのまま高校へ進んで、自分に人生に誇りも、希望もない。そんなのは、本当に自分の目指していたものなのだろうか。

自分を卑下していたぼくですら、今のぼくはあまりにも愚かな人間に見えるはずだ。

いくら未来に対する素晴らしい構想を抱いていても、その過程がダメで、くたばってしまった時の事なんて何も考えていなかった。

そもそも、20年後なんて考えてどうにかなるもんじゃなかったんだ。この先どうなるかなんて、分かるはずがない。

だから、ぼくは自分の数年後についてだけを考える。もう何も考えたくはないのに、何かを考えなければ気が済まない。

 

10

最近、蚊を頻繁に見かけるようになった。

ちょっと前までは数日に1回、見かけるかどうかだったが、ここ数日は1日に3~4回見かける。

恐らくヒトスジシマカなどのヤブカの類だろう。久々に見ると妙にでかくて外で見かけると潰すのが憚られる。

ちなみに、一週間ぐらい前にガガンボと見まごうような大きさのオオクロヤブカと思われる大きな蚊が花の蜜を吸っているのを見た。あれはすごい。

ついにシーズンが来てしまったわけだ。だが、これは外での蚊のシーズンであり、開けっ放しになっている場所が無い限り最大の被害をもたらす家での蚊を見かけることはあまりない。

家での蚊のシーズンは、アカイエカが発生する秋なのだ。

ぼくの家に湧いてくる蚊は、基本的にアカイエカがメインだ。ヤブカは外から侵入してくるが、内から湧いてくる場合は少ない。

アカイエカはなんか知らんが勝手に湧いてくる、発生源すらよくわからず毎年大量発生するので、害悪極まりない。

全盛期は夜中になると1回の発生で5~6匹程度湧いてくるのが数日続くのだが、潰した蚊の7割くらいはどういったことか血を吸っていない。

蚊を潰して手に血がついた時よりも、血がついていない時の方がより蚊の原型がよく見えるので実に気味が悪いし、悪いことをしたなとは思うが、これも我が家の平和のためだ。強いものがこの世界を支配する。

9

タイトルの候補になぜかこれがあった。なんだろう。

今日はスーパーでウィンドウショッピングをしていた。

ウィンドウショッピングはぼくの趣味だ。本屋でも、スーパーでも、雑貨屋でもいろいろな商品を見るのは楽しい。

野菜売り場では、マッシュルームが198円で売られていた。

安いなあと思ったので、ウィンドウショッピングをするつもりだったが、1袋を買うことにした。

その後、しばらく店でズッキーニやパッションフルーツ、珍しい形をした瓜など色々なものを見ていると、なんと店員がマッシュルームに半額の紙を貼り付けたのだ!

99円、その破格の値段に感動すら覚えたぼくは、勢いで3袋も同時に買ってしまったのだった。

マッシュルームは傘の裏が黒く開き始めると時間が経っている証拠(決して味は劣化しないが、早く食べないと崩れてしまう)らしいが、そのマッシュルームは全体的に傘の裏が黒く開き始めていた。あまり時間を置く事はできないので、冷凍も考えた。

3袋もどう消費しようかはしばらく考えたが、食べてどの程度減るかを考えてからにしようと家でバター醤油で炒める事にした。

すると、予想に反して一般的な寿司が盛れる程度の皿にマッシュルーム1袋分が収まってしまった。

味はやはりうまい。明日は何の料理をしようか、静かな楽しみが生まれた。

8

小学生の時、ぼくの母親は精神を病んでいた。

当時のぼくにはそう見えなかったが、幼稚園の時からパニック障害を持っていたと、中学に入ったぼくは本人から直接知らされた。

別に母親に何か思い入れがあるわけでもなく、そもそもぼくは家族とあまり関わりを持ちたくないと昔から思っていたのでショックには思わなかった。

べつに両親が明日突然死んでも、今まで通り学校に通えるアテさえあれば実際のところあまり思うことはない。

普通の人ならば、もう少し親に対して思い入れを持っているのだろうと思うと生まれを恨みたくなるし、自分が非道な人間ではないのだろうかという罪悪感に襲われる事もある。

それはそうと、そんな母親だったので何度も新興宗教の施設や、寺や神社などに連れて行かれた。

同じ場所に二度連れて行かれた事が殆ど無いのは不思議だが、大事になった事が一度も無く、今になって何かが起こるというのも無いのは非常に幸運だと思う。

その中で、一番印象に残っているのは家から40分ほど電車に乗らないといけない場所だった。

外から見える範囲だと一見普通の受付だが、奥に進むと壁に心霊写真が貼ってあったり、各地に札があったり、やはりその手の場所らしい。当時のぼくはずっとDSをやっていて気にも留めなかったが妙なものは多かった。

中にはカーペットの床の広場のような所があり、たくさんの人がいた。特にお爺さんや、お婆さんが多かったように思える。話の内容は殆どが他愛のない世間話だった。

ぼくの母親もその世間話に参加していた。これも別に怪しい会話ではなかったように思える。

また、そこではマッサージのような事もやっていた。マッサージをしているのは40代くらいの女性で、親にマッサージを受けるように言われたが、少々頭への刺激が強かったぐらいで他はあまり記憶にない。普通のものだったと思う。

帰り際に、階段を登った先にある仏壇だか神棚だかよくわからないものに頭を下げることになった。ぼくはこのような宗教施設に行くのは慣れていたので、いつも通りに頭を下げた。

何を崇めているのかも分からないし、妙に施設が狭かったなあ。