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昨日までの雨には驚かされた。ぼくの住んでいる神奈川県でも夏の局地的大雨のような激しい雨が1日中続いていた。

家から少し離れた場所に川があって、その川は昔暴れ川と呼ばれていたほどに氾濫が多かった川らしい。

堤防が設置されてから氾濫は無くなったのだが、呼び名が付くくらいならばどのくらい増水していたのかが興味があった。寝坊をして家を出るのがギリギリになってしまい、様子を見るほどの時間がなかったのが悔やまれる。

そういえば、昔住んでいた家の近くは段差のある家が多かったが、川の事を考えて作られた段差だったのかもしれない。

ただ、それよりもニュースで見た栃木の映像はすごかったな。栃木には祖母の実家がある。数年前に行った時は実家の前にある畑の周りにたくさんのカエルがいて、近付こうとするとすぐに水田に飛び込む。その姿は生まれてからずっと住宅街に住んでいる自分には新鮮に見えた。

祖母の実家の状況は少し気になる所だが、人生で数回しか行った事はない。最後に行ったのは五年ほど前の葬式だろうか。連絡先も母に聞かないと分からないので連絡を取るのは憚られる。

 

今日も学校が終わって、20時頃に駅へ着いた。

昨日の大雨とは打って変わって晴れた日も、静かに終わろうとしている。

その時はうっかり忘れていたのだが、用事があって本屋に行く為に後少し先の駅で降りる予定だった。ぼくは少しの間電車を待つ事になってしまった。

平日の夜8時、それも都会と言うには少し無理のある街なので、ホームは閑散としていた。

特にする事もないので、ホーム内を少し歩く。朝早くホームに着いてしまって人が殆どいない光景は何度も見たが、夜のホームで人が少ないというのはどうにも珍しいように思える。

気が付けば、ぼくは線路を見つめていた。

ぼくの精神状態は常に、至って正常だ。それでも、線路を見つめているとどうにも自分が知らず知らずのうちにこの場所に身を投げ出してしまうのではないかと考えてしまう。

杞憂なのかもしれない、いや、杞憂なのだ。ぼくはどれだけ気分が悪くなった時であっても、死への恐怖だけは持ち続けてきた。生への執着ではなく、死への恐怖だけを持ち続けた。これはぼくの最大の特長の一つであり、ぼくを生者たらしめる所以なのだ。

だからこそ、自分は決してここに飛び込むことはないし、その願望も当然ない。最後の咆哮を放とうと、一体誰がそれを聞き、何を変える事が出来るというのか。

それでも、脳裏によぎる、迫り来るような光景はぼくの心を怯ませ、ついにぼくはホームの「黄色い線」からの一歩後ろまで下がった。

電車が来る。ところで、誰もいないホームで夜に電車が向かってくるというのは妙に趣がある。特に冬で寒さに耐えつつ駅のホームの自動販売機でおしるこなどを買うといかにもという感じだ。