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最近、身体の不安の事ばかり考えている。

目尻の皮膚は腫れ、後頭部に鋭い痛みが頻繁に走る。目眩も増えたし、髪の毛がとにかく抜けるようになった。

最近は学校行事も多く、多少はまともになったのだが、少し前までろくに寝れなかった。授業で寝ようとしても、寝る事を意識すると腕の位置などが妙に気になって眠れなくなってしまう。たぶん睡眠時間は平均して3時間程度しかないと思う。

ぼくは、元々精神面には自信がある。何度か、いっそ思考を放棄してみようと考えた事があるのだが、その全ては失敗に終わった。理性は、身体の何倍も強かった。

昔はよく感情を表す方で、理性とはだいぶ離れた精神のあり方をしていた気がする。当時の思考回路など断片すら思い出す事は出来ないが、そこで起こった記憶自体は残っているのだ。

金魚や、虫、忌み嫌っていた対象でさえも、その生命が終われば甚く悲しんだし、誰かが幸福を味わっているのを見ると自分さえ幸福な気分になっていた。

また、自分が不快だと思うと相手に関係なくそれを訴え、怒っていた。

今はこの反動だろうか、嬉しい、悲しい、羨ましい、そんな感情が、自分の中からすっかりと取り去られてしまったかんじがする。

特に、最後に関しては妙な方向へと転換された。かつては嫉妬とか、羨望とか、そんな感情を抱いていた人々に対して、憧れを抱くようになった。

届かない憧れを見るのが好きになった。自分が持たない輝かしい物を持つ人々が、好きになった。

何故ここまで感情面における変化が訪れたのか?成長と言ってしまえば簡単だが、あまりにも抽象的すぎる。回答を付けるとするのならば、感情のありようの変化を後押しした最大の存在は、今までの中身の薄い人生十数年余りによって発達した、感情をうまく丸め込む技術だろう。

感情をうまく丸め込むという行為は、自分に対する失意ばかりを増幅させ、他の意思をどんどん打ち消していく。それでも、ぼくにとっては最大の友であり、敬愛すべき兄弟なのだ。

先にも言った通り、ぼくの精神は至って正常である。考えの中枢は極めて論理的な思考に包まれている(錯覚の可能性はある)し、取るに足らない事で心の底からぼくが怒ったり、投げやりな行動を示す事はなんらかの利益が発生しない限りありえないと見て良い。

だが、精神がいくら屈強であろうとも、身体はどうだ。身体は、いくら強くあってもいつかは限界が来る。

ましてやぼくは生来の運動嫌いで、普通の人間よりも限界は近いのだ。これがぼくにとって身体の異常が、精神の異常よりも余程やっかいである理由だ。

一般に、身体の異常はその人間自体に恐怖を与える。恐怖以上の感情はなく、それによって精神が狂ってしまう事もあるが、明らかに死を近付けるような異常ではない限りは精神にまで影響を及ぼす事は無いと見ていいだろう。

それに比べて、精神の異常は「非行動的な行動力」を後押ししてくれる。身体の異常は、何もぼくに与える事はなく、ただ、静かに、無機質に行動だけを毟り取り去っていく。