7

世界には、どうしてここまで物事を楽観的に見ることの出来る人間が多いのだろうか。正当化出来る人間が多いのだろうか。

自分のことを正当化出来る人間が嫌いだ。

客観的に見て、明らかに自分に非があったり、矛盾点があるというのに、自分を正当化するなどという事がどうして出来るのだろう。

その神経がぼくには理解出来ない、自分でその非や矛盾点に気付かないほどに愚かなのか?それとも気付いていても見て見ぬフリをして、電子の盾を掲げ続けているのだろうか。だとしたら、それはあまりにもばかげている。

自分に理由のない自信がある人間も嫌いだ。

どこからその自信が出てくるのか不思議でならない。数字によって示された圧倒的な実力があるのならばともかく、何の結果や実績も残していないのに、一体何が彼らを支えているのだろうか。

何の証拠があって、自分の未来を楽観視できるのだろうか。

たいへんぼくはこれらを嫌っているが、結局はそうでもないと社会はやっていけないのだと思う。

仮に将来に対する絶望的な光景が見えていても、目を逸らせば何も見えないし、その均衡が崩れるまでは生き延びる事ができる。

反対に、下手に考えてしまうほど生きづらいことはない。

ひとたび未来に絶望視すると、何の活力も湧いてこなくなる。例えそれが確実なものであればあるほど、目を逸らした方がよっぽど幸せだ。

そんな人間ばかりになってしまったら、間違いなく国は崩壊してしまうだろう。

だから、何の理屈もなしに自分を正当化する力というものは重要なのだと思う。

そして、ぼくはこの力があまりにも足りなかった。

6

ぼくは殆どの授業を寝ている。

今日もいつも通りに授業中にうとうとと眠っていた。ああ!授業中の眠りほど素晴らしいものはこの世界に存在するのだろうか!

授業を受けているのは苦痛で、うとうとしているのを耐えるのもまた苦痛だが、ひとたび眠りにつくとその後は意識が半分あるのに確かに眠っている、快楽だけが精神に流れ込んでくる。まるで麻薬のようだ。

しかも、不思議と目が覚めても寝覚めの悪い早朝のような倦怠感でもなく、晴れ晴れとした気分になってすっきりとした感覚だけが残る。

問題は眠ろうとして眠れない時である。

授業が妙に騒がしかったり、腕の感覚や位置がおかしく感じられたり、光に敏感だったりする時もあり妙に眠りにつき辛い。

こうなってしまったらおしまいだ。

頭痛など様々な身体の不調に反応する脳が、「眠れ」と命令してくるのだが、眠れない。

ゆえに、眠れないことに対する焦燥感を覚えてしまうのだ。

さらに、授業にも集中できないときた。手詰まりだ、どうしようもなく動けない。精神的疲労に、身体的疲労がついていっていない。

日に日にこういうことが増えていっている。そして、ぼくの精神はさらに疲弊していく。夏休みなどというものは関係ない。そこには、夏期講習があるのだ。

ぼくの自律神経なんてものは睡眠不足と、冷蔵庫のようなクーラーと灼熱の外気に侵されてとっくにぶち壊されているのだろう。

もう、そんなこともどうでもいい。後1年半耐えれば、きっと何かが見える。これだけは自分に言い聞かせなければならない。

5

自転車に乗って、それなりに遠くの街へと行った。

理由はない。殆ど思いつきだし、定期考査前日の自分の勉強しなければならないという意思に対する反逆なのかもしれない。

元々自転車に乗るのはそこまで好きなわけでもないが、去年頃、隣街に本を買いに行くのに何かと便利かもしれないという事で買ったのだ。

家を出る。雨が降っているが合羽を被れば濡れない。

自分は方向音痴なので、とりあえずひたすら真っ直ぐに進むことにした。

途中に、商店街があった。

昔祭りがあって、それ以外でも親に何回か連れて来られた気がする、思わぬ場所にあったのにも驚いたが、その頃に比べるとなんだか随分シャッターが増えた。

祭りにはもう随分行っていない。そろそろどこかに行ってみようかなあ。

商店街を抜けると殆ど何もない道が続いた。何もなさそうな工業地帯に入り込んでしまったので、折り返して別の道を進んだ。

昼飯は、そこそこの規模のショッピングモールのフードコートで食べた。周りに大きな駅などがある様子もないので、この近くに住んでいる人は買い物の際きっとこの施設を頼りにしているのだろう。

流石に道路に沿って進むと自分の知っている駅の近くに付いたので、近くにあったカフェで1杯のコーヒーを飲んだ。

カフェを出て、ショッピングモールをぶらついていると、いつの間にか夕方になっていたので、家へ引き返した。引き返し、家に着いたのはもう6時半、明日は定期考査。

4

6月が終わりかけている。

高校二年生になってから、三ヶ月が経過しようとしている。

ぼくはこの三ヶ月で何を残せただろうか、何を学んできたのだろうか?思い出せない。確かに色々な事をやってきた気がするが、特筆すべき物など何もなかった。

理科に対してある程度の方針が示せたのは良かったとは思うが、物事の大半は解決していない。結局自分は何もしていないのではないかという錯覚に陥る。

高校一年の時は余裕があった。その余裕から生まれたモチベーションも大きい。

だが、気が付けば後1年半だ。余裕が段々と削られていく。

1年半後のぼくは、笑っているだろうか。

いや、結果がどうであろうと笑っているだろうな。少なくともこの学校を卒業出来るのだから。

 

3

動けない。

タスクが積み重なりすぎている。

学校が生徒全体に求めている要求はいくらでも対処のしようのある物だが、ぼくに対する要求は対処のしようがない。

「まだ時間はある」「この問題は解けなくても構わない」という全体に向けられた言葉と「確信を持たせるような結果を残せ」「全ての問題を取りにいけ」「お前ならば定期考査など全て満点を取れて当然なはずだ」というぼくに向けられる言葉はあまりにも矛盾している。

学校側はぼくがいくらでも、何でも要求を飲み、行動し、結果を残す人間だと思っているのかもしれない。それは学校にとっては都合のいい、自然な姿なのかもしれないが、ぼくにとってはただただ不自然すぎるのだ。

所詮人間は人間だ。どうしようもないものはどうしようもないし、自分の目的にすら必要である以上の要求や、自分の目的に必要でない事を要求をされても、モチベーションが上がるはずがない。

ましてや、それによって自分の行動が制限されているのだから尚更だ。もはや僕の精神の疲労は限界に達している。

身体の疲労がひとたび僕に現れると、それもまたぼくの行動を阻害する。それによって引き起こされる精神の疲労がぼくを阻害し、身動きがとれなくなる。身動きが取れなくなり更に疲弊した精神は、身体の疲労を引き起こす。絵に描いたような悪循環だと思う。

ぼくの目標は既にもはや己の努力の結果として求めているものではなく、「代償」としてぼくに求められているに過ぎない。

この状態を抜け出すにはどうすればいい?きっと答えは1つ、耐えることなのだろう。

状態というものは基本的に永続ではない、耐えればいい。耐えればいつか過ぎ去る。そして、過ぎ去った後、ぼくに何の後遺症も残らない事を祈るばかりだ。

2

魚は少なくとも人に見える範囲では殆ど自己表現などを行わず、人間らしさというものがまるでない。

慣用句を例に出すと、よく「死んだ魚のような目」と言われているのはまさに魚とは無感情で、人間らしさが無い事の象徴なのではないだろうか。

そもそも死んだ魚の目と生きた魚の目に殆ど差異は無いし、仮に差異があったとしてもそれを生み出しているのは鮮度という要素であり生死ではないので、この言葉は魚全般の目を指しているようにすら思える。

むろん、魚の一見習性に基づいただけのように思える行動に対して何らかの人間らしさを見いだす事の出来る人もいるのかもしれないが、無作為に選んだ100人の内少なくとも2割以上がそれらの感情を抱いている確率は無に等しいだろう。

例えば、また板の上に置かれている魚を見て可哀想だとは思うだろうか。
一々そんな事を思っていたら料理なんて出来ないし、そのあまりにも無抵抗な魚の姿に滑稽さすら覚えてしまうかもしれない。
しかし、これが動物となると訳が違う。ただの赤い塊としてまな板の上に置かれているのならまだしも、ウサギなどの動物をそのまままな板の上に置いたとしたら大半の人間は何の感情も抱かずにそれを捌くなどという事は出来ないはずだ。

宗教においても特定の動物の肉を食べてはいけないという規定は散見されるが、魚類に関しては精々動物性食品や、断食などとして一緒くたに扱われ禁じられる事があるものの、魚自体を禁止したものは聞いた事がない。
また、牧畜が残酷だという意見に対して、魚の養殖が残酷だという意見はごく僅かだし、漁に関しても同じようなことが言える。

ぼくはこのような人間の魚に対する「雑な扱い」なんとも面白おかしく、好きであった。
これらの事を全て理解していたわけでは到底ないが、昔から気恥ずかしい思いをしたり、失敗をしてしまった時はいつも魚を思い浮かべ、その無垢さを羨望していた。

ぼくは幼稚園の頃から目立つのが嫌いだったし、人とコミュニケーションを取ることを拒み、片っ端から囲碁や将棋などのボードゲームのルールを覚えるのが楽しみだった。プレイするよりもルールを覚える方が楽しかった。
小学校に入っても算数などの人為的な影響の無い科目が好きだった。人為的要素の組み込まれた歴史は嫌いだったが、どういった事か国語は得意だった。

そして、いつしか何の人間らしさも持たずにただ魚のように生きる事が正義だと思うようになった。

1

今日の帰り道、ちょうど8時ぐらいだったろうか。

いつも通りに電車に乗って駅前に出ると、スイカが売っていた。

スイカは200円、一瞬1200円と見間違えたが、どうやら200円であるようだ。

スイカが積まれたカゴの後ろには言葉もあやふやなおじいさんが立っていた、ぼくが近づいた時、どこからともなくおじいさんより10~20歳程度若いぐらいの男がスイカを運んできて、カゴにスイカを補充した。

熊本産だからおいしいよ!というよくわからない宣伝文句をぼくにかけた後、その男は売り場から去っていった。

せっかくだし買ってみようと思ってスイカを1つ買った。どうやら本当に200円のようだった、それにしても重い。

そして、せっかくだし2つ買って味を比べてみようと思いもう1つスイカを買った。

まあ400円程度ならば問題のない出費だし、スイカだし極端にまずいといった事も無いだろうと思ってのことだったが、このスイカが想像以上に重い。

なんだこれは、とにかくやってられないほどに重い。

その後、8回ほど持ち方を変えてから程なくして家に着いた。玄関にはメロンが置いてあった。人生とはなんだろう。